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ヒトの健康寿命をのばす 神戸発・生命科学の最新研究

影山 龍一郎Ryoichiro Kageyama

理化学研究所 生命機能科学研究センター(BDR)センター長

神戸医療産業都市にある理化学研究所 生命機能科学研究センター(BDR)は、生命のしくみを広く明らかにし、病気の予測や予防、新しい治療法の開発を目指す研究機関です。基礎研究から生まれる最新の取り組みと、その先に見据える未来について、2025年春に新センター長に就任した影山龍一郎先生にお話を伺いました。

生命の全体像を探る研究拠点

私たちはどうやって生まれ、成長し、年を重ねていくのでしょうか。そして、その過程でなぜ病気になるのでしょうか。神戸医療産業都市にある理化学研究所 生命機能科学研究センター(BDR)は、こうした根本的な問いに挑み、受精から成長、成熟、老化までの「ライフコース」に沿って、細胞や臓器、さらには個体全体がどのように変化するのかを研究しています。
 BDRの研究は、生命現象を断片的に見るのではなく、生きものが生きている仕組みを時間軸で丸ごと理解しようとすることが大きな特徴です。例えば、胎児期の栄養状態や環境が、大人になってからの健康に影響することがあります。人生のある時期に起きた出来事が何十年も後の病気や健康に関わる、そのような関係を解き明かすことで病気の原因や進行を予測し、予防や治療の新しい方法につなげます。ある研究チームはマウスを使って、母体の年齢が上がると卵子の染色体の数が異常になりやすい理由を探る研究に取り組み、加齢によって染体が正しく分配されにくくなるメカニズムを発見しました。原因がわかれば、将来の予防や対策につながります。それが基礎研究の力です。成果が出るまでには時間がかかりますが、必ず誰かの役に立つという思いで研究を続けています。

オルガノイドとAIが切り開く、未来の医療

いま、BDRで特に力を入れているのが「オルガノイド研究」です。オルガノイドは、iPS細胞などの多能性幹細胞から作られる小さな臓器モデルで、網や腎臓、肺など実際の臓器に近い機能と構造を再現できます。病気の研究や新薬の開発、臓器移植の新たな手段として、世界的にも注目されています。例えば網膜オルガノイドは、目の病気の患者さんへの臨床研究に使われています。2014年には、iPS細胞を用いた世界初の移植手術(加齢黄斑変性という目の疾患を持つ患者さんへの移植手術)が、理研BDRの前身の一つである発生・再生科学総合研究センター(当時)と、神戸市立医療センター中央市民病院、先端医療センター病院(当時)との共同で実施されました。肺や腎臓のオルガノイドでも、病気の状態を人工的に再現できれば、新しい薬の開発や病気の仕組みの理解に役立ちます。腎臓は構造が複雑で移植にはまだ課題がありますが、一部の機能を補う形で活用できる日が来るかもしれません。またBDRでは、iPS細胞の培養や、オルガノイドをつくる実験の自動化にも挑戦しています。人の手で行う細かく複雑な操作をロボットで再現し、同じ品質のものを効率よく大量に作れるようになれば、薬の効果や副作用を安全に試せる場を作ることにもつながります。

BDRがこうした研究を進めやすい理由の一つは、その立地にあります。神戸アイセンターや神戸市立医療センター中央市民病院、兵庫県立こども病院が徒歩圏内にあり、基礎研究の成果を医療現場での応用へとスムーズにつなげることができます。実際に、iPS細胞などの調製を自動化するために開発した「ロボット用細胞培養加工施設」が、神戸市立神戸アイセンター病院に設置されています。また神戸大学や大阪大学、京都大学とも連携し、多くの研究者や大学院生が集まり、活気ある研究活動が展開されており、異なる分野の専門家が顔を合わせることで、日々新しい発想や研究テーマが生まれています。企業との協力も活発で、2016年からは大塚製薬と共同で脳や肺、腎臓のオルガノイド研究を進めています。民間の技術や経験が加わることで、成果を社会に届けるスピードが上がります。

 さらに、これまでに集めた膨大な研究データや画像、論文を活用して、科学分野に特化した生成AIの開発も構想中です。豊富なデータと多様な専門家が集まるBDRだからこそ、まだ見ぬ発見や新しい治療法が生まれるはずです。病気の早期発見や予防に役立つ知見を生み出し、健康な人生をより多くの人に届ける未来を、神戸から世界へ広げていきたいと思っています。

理化学研究所 生命機能科学研究センターRIKEN Center for Biosystems Dynamics Research(BDR)

理化学研究所 生命機能科学研究センターHP:
https://www.bdr.riken.jp/ja/index.html

理化学研究所は2002年に神戸研究所(当時)をポートアイランドに開設し、発生・再生科学を始め、分子イメージング科学、生命動態システム科学(大阪)などの研究センターを関西に設立。生命機能科学研究センターは、これらの生命科学系研究センターを前身として2018年に発足した。神戸医療産業都市の発展において大きな一翼を担う世界的な研究拠点であり、基礎生物学の幅広い研究を推進している。10月4日(土)には市民向けイベント「一般公開」を開催予定。

理化学研究所 生命機能科学研究センター

超柔軟冷却ゲルパッド「ぷにゅ蔵くん」 誕生ストーリー

注射の際に感じる痛みや不安は、子どもにとって大きな負担になります。恐怖心から病院に行きたがらず、必要な治療を避けるようになることも少なくありません。神戸市立医療センター中央市民病院 小児科の岡藤郁夫先生は、こうした課題を解決するため、注射の痛みをやわらげる手軽で安全な方法を模索してきました。
その思いに応えたのが、神戸医療産業都市推進機構(FBRI)で医療機器の開発支援に携わる安田匡範さん。医療現場の声と企業の技術を結びつけ、冷却パッド「ぷにゅ蔵くん」の開発が実現しました。

注射の痛みを冷却でやわらげる方法を模索

― 「ぷにゅ蔵くん」は、どのようにして生まれたのでしょうか。

岡藤先生(以下、敬省略) 子どもは小学校入学までに通常20回以上のワクチン接種を受けます。この時の痛みや恐怖は、子どもの心身にとって大きな負担になります。幼少期のこのような経験は、大人になってからも医療への嫌悪感や受診・治療の回避につながる場合があります。注射の痛みは、あらかじめ冷やすことで感じにくくなります。これは、「冷たい」という感覚が脳に優先的に伝わることで、「痛い」という信号が伝わりにくくなる仕組みがあるからです。冷たさが先に伝わることで痛みが弱まるイメージです。そこで、従来は氷水で冷やしてから注射する工夫をしていましたが、氷水の準備に時間がかかる上に、繰り返し使うのも衛生的に良くありません。日常的に使える別の方法がないか、探していました。

安田さん(以下、敬省略) 2019年に中央市民病院の 協力を得て、医療従事者が直面している現場の課題を企業関係者に対して発表してもらおうと医療現場ニーズ発表会を開催しました。そこで岡藤先生のお話を伺った企業のひとつが、凍らせても固まらない特殊なゲルを扱っていて、先生の課題解決に応用できるのではないかと声があがったのです。私はその企業と先生をつなぐ役割を担い、医療用として使用できるか一緒に検討を始めました。

岡藤 ぷにゅ蔵くんは、冷凍してもやわらかさを保つ性質のゲルをパッドで包んだ製品です。事前に冷凍庫で冷やしておき、注射の直前に30~60秒あてるだけで痛みをやわらげてくれます。やわらかな肌当たりでやさしくフィットし、薬ではないので副作用などの心配もありません。注射前だけでなく、注射後の痛みや炎症の軽減にも役立ちます。扱いやすく安心して使えるので、医療現場でも非常に取り入れやすいです。

試作を重ね、臨床研究でも効果を確認

― 開発の過程で工夫された点を教えてください。

岡藤 試作の段階では、子どもたちにも触れてもらい、色や感触の好みを調べました。複数の色を試しましたが、性別や年齢に関係なく黄色が最も好まれることが分かり、最終的に黄色に決めました。当初は、本体の中にビーズを入れたりキャラクター風の装飾も考えたりしましたが、コストや衛生面を考えてシンプルな形になりました。

― 臨床研究では、どのように効果を確認されたのでしょうか。

岡藤 子どもが注射のときにどのくらい痛みを感じているかを数字で表すのは難しいため、実際の様子を動画で撮影しました。あとから第三者がその動画を見て、子どもの表情やしぐさをもとに、すでに使われている方法で痛みの強さを評価しました。そして、「ぷにゅ蔵くん」で冷やしてから注射した場合と、冷やさずに注射した場合で、どちらの方が痛みが少なかったかを比べました。結果として明らかな効果が確認でき、実際の医療現場でも、効果がはっきりと見られました。注射を嫌がっていた子が「『ぷにゅ蔵くん』があれば大丈夫」と言って自分から腕を出すようになることもありました。保護者にとっても安心につながり、医療スタッフにとっては処置をスムーズに進められるなどのメリットがあります。子どもの医療体験を少しでも良いものにすることは、将来の医療への向き合い方にも影響すると考えています。

― 完成に至るまでの、最後のハードルは何でしたか。

岡藤 医療現場で安心して使える品質に仕上げることです。冷却時間の最適化や繰り返し使用した時の劣化を検証し、衛生的に扱えるよう改良を重ねました。

安田 医療機器として守らなければならない規制や基準について助言しました。こうして約4年をかけ、信頼できる製品が完成しました。

岡藤先生は「今回の開発を通じて、医療者・企業・神戸医療産業都市推進機構の間で信頼関係が生まれ、
次の新しい製品開発の芽も生まれています」と語ります。

今後も幅広い活用に期待

― 今後の展望について教えてください。

岡藤 現在、ぷにゅ蔵くんは全国で約100施設に導入されています。注射だけでなく、レーザー治療や透析治療など、さまざまな治療にも応用できると考えています。将来は家庭でも使えるように普及を目指したいですし、さらに海外でも子どもの痛みに向き合う課題は共通しているため、広く活用されることを期待しています。

安田 「ぷにゅ蔵くん」は、医療現場の課題と企業の技術が結び付いて誕生した製品です。神戸医療産業都市推進機構は、これからも、医療と産業研究者をつなぎ、医療現場の改善に結びつくような製品実現のための支援活動を行っていきます。

「医療と産業をつなぐ橋渡し役として、今回の経験を次のイノベーションにつなげていきたい」と話す安田さん。