KBICで活躍するトップランナーたち

気体をあやつる材料で、新時代をひらく
神戸から社会実装に挑む多孔性金属錯体「MOF」

樋口 雅一Masakazu Higuchi

株式会社Atomis 創業者・技術諮問委員

空気中のガスやにおい、二酸化炭素など、目に見えない物質を自在に選び取ることができる「多孔性金属錯体(MOF)」。この先端材料を、大学の研究室の中だけで終わらせず、私たちの暮らしを支える技術として社会に届けようとしているのが、神戸医療産業都市に拠点を置く株式会社Atomis(アトミス)です。MOFの社会実装に挑む情熱と、その先に広がる未来について、創業者の樋口雅一さんにお話を伺いました。

空気中の分子を選び取る、新しい材料

私たちの身の回りには、目には見えなくても、さまざまな物質が存在しています。二酸化炭素や水蒸気、窒素、酸素などの目に見えない分子を、「捕まえたいものを捕まえ、手放したい時に手放す」。そんな役割を果たすのが、「多孔性金属錯体(MOF:Metal-Organic Frameworks)」です。

MOFは、金属と有機分子が組み合わさってできる、設計が自由自在な材料で、内部に目に見えない分子ほどの小さな無数の空間を持っています。その構造は、よく「ナノサイズのジャングルジム」に例えられます。金属が結び目、有機分子が棒のようにつながって立体的な骨組みを作り、そのすき間に分子を取り込みます。このすき間の大きさや性質をパズルのように設計することで、特定のガスだけを集めたり、においの元を吸い取ったりと、目的に合わせた使い分けが可能になるのです。

研究成果を、世の中の役に立つカタチへ

私は、MOF研究を牽引してきた北川進先生の近くの研究室で学び、博士課程を修了した後、先生のもとでポストドクター(博士研究員)として研究に携わってきました。北川先生は、金属錯体の間にできた空間にガスが出入りすることを世界で初めて実験的に証明した研究者です。さらに長年MOF研究を続けられ、それまで「硬くて形が変わらない」と考えられてきた結晶物質(MOFも結晶物質の一つ)が、「実は柔らかくて形が変わり得る」という新しい考え方も提唱しした。私は、北川先生の研究に端を発するMOFが世界中の研究者や企業人の興味を喚起し、単なる研究対象から「社会を変える力を持つ材料」へと進化していく過程を間近で経験させていただきました。

一方で、その成果を実際に社会で使われる形にすことは簡単ではありませんでした。優れた基礎研究の成果があっても、商品やサービスとして世の中に出るまでにはいくつもの高い壁があることはよく知られています。MOFについても、長い間「他の材料ではなく、MOFでなければならない理由」を十分に示すことができず、実用化が進まない状況が続いていました。

転機となったのが2014年です。神戸で開催された国際学会「MOF2014」に運営事務局の一員として参加し、海外ではすでにMOFに特化したスタートアップ企業がいくつも生まれていることを知りました。さらに投資家からの後押しや、企業から「結果が良いから、このMOFを3キログラムほしい」と大学では扱えないほど大量の要望を受けたことも、大きなきっかけになりました。「MOFを実際に社会で使える材料にするには、量産と品質管理の体制を作る必要がある」と確信し、2015年にAtomisを設立。MOFに特化した開発・製造のための体制づくりに取り組み始めました。

※京都大学特別教授。2025年にノーベル化学賞を受賞。金属錯体の間にある空間に気体を出し入れできること、つまり“多孔性”金属錯体が存在することを世界で初めて証明(1997年)。目に見えないガスを自在に操る道を切り拓いた、現代科学を代表する研究者。

神戸から広げる、MOFが当たり前にある未来

MOFの可能性は、今も広がり続けています。例えば、においの原因となる分子を取り除き、室内や工場の空気を快適に保つことができます。また、地球温暖化の原因となる二酸化炭素やメタンなどのガスを集めて、環境負荷を減らす使い方も検討されています。さらには医療分野で、薬を体内の狙った場所へ送り届けたり、病気のサインとなる物質をキャッチしたりと、私たちの命を救う技術としての研究も進んでいます。

現在、私たちは神戸医療産業都市(KBIC)を拠点に、このMOFを社会で使われる材料へと育てる取り組みを進めています。ここには、研究から製造までを一貫して行える理想的な環境があります。Atomisの目標は、材料を作ること自体ではありません。その材料が、人々の暮らしの中で「役に立っている状態」を作ること。MOFを、研究の成果として終わらせず、社会課題の解決や社会の発展のための材料にするために、私たちは挑戦を続けます。

株式会社Atomis(2015年創業、2017年にMaSaKa-NeXTから社名変更)

多孔性金属錯体(MOF)の開発・製造を世界的にリードするスタートアップ企業。MOFの量産・品質管理体制を確立し、インターネットに繋げてデータ管理できる次世代高圧ガス容器「CubiTan®(キュビタン)」などを展開(表紙写真:赤色は天然ガス用、緑色は二酸化炭素用、灰色は窒素・アルゴン・ヘリウム用)。現在はKBICを拠点に、環境・医療・産業など幅広い分野で社会の課題を解決するべく、MOFの社会実装を推し進めている。

株式会社Atomis

CO2を資源に変える!「バイオものづくり」の最前線

二酸化炭素(CO2)を「排出物」ではなく「資源」へ。神戸医療産業都市を舞台に、革新的なバイオものづくりが大きな注目を集めています。微生物の力で物質を生み出す神戸大学発ベンチャーのバッカスと、その産業化を担う日揮HD。環境問題の解決と新産業の創出という大きな目標に向かってどのような挑戦を続けているのか。二人のリーダーに語っていただきました。

「育種」と「プロセス」の融合がもたらす速度革命

―まず、今回のプロジェクトが目指すビジョンについて教えてください。

近藤さん(以下、敬称略) 私たちは今、CO2を新しい資源として循環させる「カーボンリサイクル」の実現を目指しています。鍵を握るのは「水素酸化細菌」という特殊な微生物です。この菌はCO2を食べて、体内でプラスチック原料などの有用物質を作り出します。このように生き物の力を借りて物質を生産するのが「バイオものづくり」です。バッカスでは、生産能力を極限まで高めた「スマートセル(微生物)」を開発していますが、研究室で優秀な微生物が生まれても、産業レベルで大量生産できなければ社会を変える資源にはなり得ません。

水口さん(以下、敬称略) そこで日揮HDのエンジニアリング技術が不可欠になります。数リットル規模の研究成果を、数百立方メートルという工業スケールへ引き上げる「スケールアップ」が私たちの役割です。微生物の培養のみでなく、不純物の分離精製から製品化まで生産プロセス全体を最適化します。特にこの水素酸化細菌の培養では水素と酸素を用いますが、混合すると爆発の危険があるため、私たちの高度な安全制御技術が重要になります。

―二社がタッグを組むことで、どのような変化が起きていますか。

水口 従来は、菌を作る「育種」に数年かけ、いざ生産段階になって「大量生産に向かない菌だ」と判明し、育種からやり直すという非効率が当たり前でした。私たちは最初から協働し、日揮HDの設備で試験して不具合があれば、すぐにバッカスさんにフィードバックして微生物を再設計してもらう。この一気通貫のサイクルを高速で回しています。

近藤 通常、この分野で製品が市場に出るまでには20年はかかります。しかし、時代のニーズやグローバルな投資スピードを考えると、それでは遅すぎます。私たちは、そのプロセスを実質2年程度まで、つまり10分の1に短縮することを目指しています。微生物の育種から生産プロセスの構築までを一つのチームで行うこの体制は、まさに世界でここだけのものです。

長年、神戸大学教授として世界のバイオ研究を牽引してきた近藤さん。その知見を武器に、自らベンチャーを率いて、地球規模の課題解決という大きな出口を見据えている。

“すぐ隣にいる距離”が信頼を生み、イノベーションを加速させる

―二社が協力するようになったきっかけを教えてください。

水口 2022年、経済産業省の方から近藤先生をご紹介いただいたのがきっかけです。私は神戸大学の卒業生でもあり、すぐに先生を訪ねました。その日のうちに意気投合し、そこから3ヶ月間は他の連携企業※1も含め、多忙なメンバーが毎週末集まって朝から晩まで議論を尽くす合宿のような日々を過ごしました。

近藤 あの濃密な時間があったからこそ、強固な信頼関係を築けました。日揮さんの協力をはじめ、このプロジェクトのスケールの大きな構想や熱量、本気で世界を変えようとするチャレンジ精神に惹かれて、今では世界中からトップクラスの技術者が神戸に集まってくれています。

―神戸医療産業都市に拠点がある意義は何でしょうか。

水口 バッカスさんの本社と、日揮HDとの新拠点「JBX※2」が至近距離にある意義は極めて大きいです。課題を発見したとき、すぐに駆けつけてデータを見ながら議論できる。このアナログな濃密さが、不確実性の高いバイオの世界において、圧倒的な検証スピードを生んでいます。

近藤 神戸には新しい挑戦を支える地盤があります。今、ここにはバイオものづくりの新たなエコシステムが育っています。研究だけでなく産業化までを一気に担う、世界的な重要拠点へと進化していくダイナミズムを感じますね。

神戸から世界へ、地産地消で描く持続可能な未来

―この技術で、私たちの暮らしはどう変わるのでしょうか。

水口 身近なプラスチック製品などを、石油由来から「CO₂由来」に置き換えていくことができます。これにより、資源問題と温暖化問題を同時に解決できる循環型社会に近づきます。また、バイオには「地産地消」の特性があります。海外の石油に頼らず、その土地にある「不要なもの」を資源に変えられるのです。

近藤 空気中のCO₂だけでなく、例えば兵庫県の豊かな森林から出る間伐材などの廃棄物を原料にすることも可能です。地域の未活用資源を価値あるものに変え、産業を活性化させていく。これは地方創生の強力なツールにもなります。

―今後の展望と神戸市民へのメッセージをお願いします。

水口 バイオものづくりは食品や化粧品と非常に相性が良いです。神戸には酒蔵や化粧品メーカーが多くあります。私たちの技術を地元企業とタイアップさせ、おいしいお酒や肌にやさしい製品として形にしたい。そして神戸で築いた産業モデルを世界に展開する。「神戸で生まれた技術が地元の誇りになる。そして世界に向けた発信拠点になる」という夢を持っています。

近藤 私は、神戸を「バイオのことなら神戸に行こう」と世界中から人材が集まる拠点にしたいです。研究開発から新しい産業が興り、街全体が継続的に発展していく。そんな未来の成長の柱として、私たちは挑戦を続けていきます。

バイオものづくり製品の社会実装のみに留まらず、地域独自の資源を活用することで、地方創生や街のブランディングに貢献したいという情熱を語る水口さん。